大判例

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横浜家庭裁判所 昭和36年(家イ)1047号

本籍 アメリカ合衆国 住所 相模原市

申立人 トーマス・ビー・モルガン・ジュニアー(仮名)

(本籍 フィリッピン共和国 住所 同上)

相手方 セルジァ・R・モルガン(仮名)

調停条項

(1) 申立人と相手方は離婚する。

(2) 当事者間の子ケーリー・エー・モルガンの監護権者は父たる申立人と定め、同人において養育監護する。

(3) 申立人は相手方がケーリーに面接することを欲する時は、申立人はこれを拒絶しない。

(4) 当事者間においては、既に慰藉料その他の名義の何たるかを問わず財産問題は解決済であるから、今後互いに理由の如何に拘らず財産上の請求を一切しない。

(5) 本件調停費は各自弁とする。

(家事審判官 菊沢保節 調停委員 楠豊吉 赤坂文子)

事件の実情

1 申立人は一九二五年○月○日アメリカ合衆国紐育州紐育市に於て出生した生れながらのアメリカ合衆国市民である。一九三二年紐育市ブルークリンの○○○小学校に入学し、一九三九年同校を卒業、同年ブルークリン男子高等学校に入学し、一九四一年同校を卒業した。同高等学校を卒業後紐育市ブルークリンのアイス、クリーム工場に就職したが、一年余にして同工場を退き、一九四三年合衆国海軍に入隊、一九四六年四月まで軍務に服役した後ち除隊となつた。

2 合衆国海軍にありては主として太平洋方面に於て勤務しておつたが、一九四六年フィリッピンに於て除隊し同時に同地に於て合衆国陸軍○○部に奉職した。

3 これより曩き一九四五年申立人は初めて相手方と会い互に相識るに至つた。そしてその翌年一九四六年二月二十三日両人は婚姻する運びとなり後ち一子(女児)をもうけたのである。その後申立人は軍の命令で沖繩に転勤することとなり一九四八年十二月フィリッピンを去つた。次で翌年六-七月頃休暇を得てフィリッピンに帰えり家族に会う予定を立てておつたところ測らずも翌年(一九四九年)六月初旬、妻である相手方より一通の手紙が申立人の許に届いた。それには申立人の許を去つて家出する趣旨のものであつたので申立人は大いに愕き、その手紙を受取るや否や申立人はフィリッピンに飛んだが妻である相手方は既に家出した後であつた。そこで申立人は母親に置き去られた上記の女の子をアメリカに在る申立人の両親に預け、現在猶ほ祖父母の許で養育せられておるのである。申立人は一九五三年七月まで沖繩に勤務しておつたが更に軍の命令で日本に転勤を命ぜられ、日本に渡来して神奈川県相模原市所在○○廠に軍属として軍務に服すこととなり現在に至つておる。

4 その後申立人は妻である相手方の行方を彼此と手を尽して探したが手がかりなく途方に暮れておつたが、斯くするうち一九六一年四月頃神奈川県座間に在る合衆国陸軍司今部法務部法律相談部に依頼し、その嘱託によつて在フィリッピンアメリカ合衆国陸軍後援部隊の賠償係官の調査した結果漸くにして相手方がフィリッピン国パサイ市に居住することが判明するに至つた。併し相手方は現在ロザリオ・ソリムなる男と同棲し両人の間には既に一九五一年十月以来三人の子をもうけ現在に於てはこの男と事実上の夫婦生活を営んでおることが明確となつたのである。

5 申立人の本国州である紐育州の離婚法に依れば離婚の唯一の事由は姦通であるところ妻である相手方の上述の行為は明らかにこの離婚の事由に該当するものである。然るところ相手方も申立人との離婚を希望しフイリッピン・マニラ市に於ける公証人に嘱託して日本の家庭裁判所に於ける調停手続に依り本件申立人との離婚に応ずる為の代理委任状を作成し、これをフイリッピンに於けるアメリカ合衆国陸軍部隊賠償係を通じて送附し来たのである。

6 敍上の実情なるにより申立人と相手方との離婚の調停を求める為本申立に及ぶ次第であります。

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